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デザインの歴史

> フィンランドのアールヌーボーの流れはフィンランド人の民族的伝統に根ざし ている。19世紀後半、芸術家の間でフィンランドの文化遺産のすばらしさを見直 し、工業化に対抗する、新しい息吹きの源泉としようという覚醒運動が起こっ た。この過去の文化を理想とする運動は「カレリアニズム(Karelianism)」とい う形をとった。 ナショナルロマンティシズム様式はこのカレリアニズムから生まれた。伝統的 な素材、形、モチーフを出来るだけ用いることによりフィンランド固有の特質を きわだたせている。ナショナルロマンティシズムは一方芸術的個性の尊重や、同 時代の海外の芸術からの影響を積極的に受け入れた。こうしてアールヌーボーの 流れの中で、フィンランドのナショナルロマンティシズムに国際的な基盤が形成 された。ナショナルロマンティシズム建築はまた完全かつ総合的デザインを目指 そうとする動きを特徴とした。

19世紀末には、国際的なアールヌーボーと並んで合理主義という言葉が生まれ た。合理主義はもともと工業化が進むにつれて拡がった大都会の需要に対応する ために、やはりアールヌーボーの中から発展してきた。技術の進歩や工業化は、 特に建築や応用美術にとって有用であり、合理主義のもとに最大限に利用され た。 フィンランドにおける合理主義の代表的提唱者は建築家グスタフ・ストレンゲ ル(Gustaf Strengell)とシーグルド・フロステルス(Sigurd Frosterus)であっ た。二人は実用性を重視する新しい美的概念を主張し、その結果、フィンランド におけるデザインの理論的基盤を樹立した。しかしながら、それは1930年代に機 能主義が台頭してくるまでは実現されることはなかった。フィンランドではロマ ン主義的傾向や、ナショナルロマンティシズム、アール・ヌーボーそして合理主 義の間には大きな相異は見られなかった。フィンランドのナショナルロマンティ シズムは、合理主義の概念をすでに内包し、フィンランドの建築家によって進ん で取り入れられていた。 20世紀初頭の10年間は古典主義や過去の様式への回帰を特徴とし、デザインお よび建築の一時代を画した。そしてこの流れは一つの改革運動と連動することに なった。中央工芸美術学校の卒業生が独創性のない均一的な模倣に抵抗し、進歩 のためには応用美術を専門化することが不可欠だと考えた。1911年、現在のフィ ンランドデザイナー協会であるオルナモ(Ornamo)がデザイナーという専門職の ための機関として設立された。

フィンランドでは1917年の独立後から、社会改革が進み経済成長が始まった。 デザイナーに課された最初の使命は、独立を達成したばかりの若い国家を象徴す るシンボルを見出すことであった。1920年代は、個々のデザイナーの職人的技能 と個人的依頼による仕事に重点がおかれていたため、工業生産が沈滞する中でデ ザイナーの役割は小さなものであった。 機能主義という歴史的様式にとらわれない、新しい動きが1920年代後半に北欧 諸国にも到達した。進んだ平等社会にふさわしいイメージが必要とされたのであ る。その目標は、実用的で安価な日常生活用品の工業生産とデザインを組み合わ せることであった。目的あるいは“機能”がデザインの焦点となった。1920年代 にフィンランドは、国際デザイン展への参加を再開し、1933年のミラノ、1937年 のパリ、1939年のニューヨークと続けて出展した。このことが工業製品の発展を 促し、デザインにとって新しい目標が揚げられた。 改革にむけての新しい試みは第二次世界大戦によって中断された。原料、労働 力、購買力の欠乏により一般消費製品の生産は落ち込んだ。戦後、復興の中心で あった建築業界では、能率のよい規格化が進み、主流となった。やがて品質の良 い美的感覚にすぐれた家具や日常生活用品を生産しようとする試みが再び活性化 し、産業界では応用美術で経験を積んだ芸術家を意識的に採用する努力がはらわ れるようになった。

1950年代に入ると、都市人口の急増によって需要も著しく拡大し、消費製品の 多様化が求められた。産業界では商品の企画にますますデザイナーを用いるよう になったため、芸術家の名前が商標あるいは品質を保証するものとなっていっ た。未開拓のデザインを発掘し、また自然の素材を使用する試みがこの時代の応 用美術の特色であった。大戦によって中断されていたフィンランドの国際デザイ ン展への参加は、1950年代に本格的に再開された。フィンランドにとって、最も 特筆すべき国際デザイン展は1951年の「ミラノ・トリエンナーレ」で、この年フ ィンランド・デザインは初めて高い国際的評価を得た。

1960年代のフィンランド社会は、急速な経済的並びに技術的発展と、それに伴 う急激な変化によって特徴づけられる。大量生産が小規模の製造業に取って代わ り、オートメーション化は製品のデザインや生産工程に支配的な影響力をおよぼ した。大衆消費者向け製品産業は、新しい製造技術に加え、プラスチック、繊維 ガラス、合成材料などの新素材の登場によって根本的な変革がなされた。貿易の 増大と、その結果の文化の国際化もまたデザインの領域に反映された。 しかし1960年代に期待されたものは、1970年代になっても実現しなかった。成 長への限界が間もなく明らかになったからである。エネルギーと天然資源が経済 や政治の主要な問題となった。デザイナーの社会的責任について活発な議論がな され、社会的な必要性がデザインの基礎になった。1970年代の工芸美術分野で は、歴史的伝統を継承していくことへの強い関心が、専門的技能や技術に熟練す る傾向の中に見受けられた。この工芸美術の伝統の見直しは、新しいライフスタ イルを積極的に探し求める動きと連動していた。フィンランドのシンプルな表現 形式は、新しいデザインや素材の実験にとって理想的な土台を提供した。

1980年代、フィンランドの応用美術の世界に、自己批判とともに自己覚醒の動 きが興った。世界を席巻したポスト・モダニズムの影響がフィンランドのデザイ ンにも見られた。この時代のフィンランドの応用美術は想像性、文化的な逆説手 法、物体とその建築的環境との緊密性や、異なる芸術分野間の自由な動きを重要 視するようになった。 家具や食器など日常生活用品のイメージは1980年代の初頭、急速な変貌を遂 げ、デザインは収集の対象となる文化的価値のあるものとなった。既に1950年代 からとりわけフィンランドの工業美術製品には高い価値が置かれていた。1980年 代には産業とデザインの統合がさらに促進され、競争市場ではデザインの役割が きわめて重要なことが、一層多くの業界によって強調され始めた。 1990年代、フィンランドの応用美術は自己批判の時期を再び迎えた。工業デザ インの分野では、森林産業に見られる斬新なデザインが格別な評価を得ている。 フィンランド・デザインは、高い品質と時代を超越することの重要性を強調し続 けている。

著者:カイ・カリン(Kaj Kalin)    ヘルシンキ応用美術館 

 
最終更新時刻:2008403月27日  
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